新ぶたパンダの冒険Y : M-X 『業行(もうひとつの昴)』

                       

  「うわ〜、薄暗くてあたりが良く見えない」
  「お〜っとっと、なんだか、足元がずいぶん揺れてるよ」
  「うわわわ、あっ、また船の上だ」
  「きゃー」

  「また、こう来るとは思わなかったね」
  「完全に意表を突かれたよ」
  「あれ、白ちゃん・・・」
  「な、なによ」
  「いや、ちょっと顔が赤いみたい」
  どうやら、以前のミッションの時の白ちゃんの様子が見える様です。

  「それにしても、ものすごい風と波と揺れね。いまにも船が壊れそう」
  「船は、前よりもだいぶ小さいようだし」
  「雨が止んでいるぶんだけ、まだましだけどね」
  「またこんども、大船団かな」と言って、みんなは後ろを振り向きましたが、
  薄明かりの中、周辺に他の船の姿はありません。

  ワームホールが開いて、みんなが飛び出したところは勝宝五年十二月二十日。
  昨夜来の暴風雨から脱したばかりで、まだ明け切らぬ阿古奈波(沖縄)近海に
  漂う遣唐使船の上です。
  その船は竜骨を持たない平底の構造船で、百余人ほどが乗れる大きさですが、
  帆柱は折れ、舵は流され、櫓(ろ)を失い、波の間を漂いながら、荒れ狂う波涛に
  今にも砕け散りそうです。
  甲板には、昨夜からの嵐との格闘に疲れた水夫(かこ)たちが泥の様に眠って
  います。
    
  「昨夜は、大変な嵐だったんだね」
  「まるでこの船は、難破船のようだよ」
  「これ本当に難破船だよ。だってコントロールも出来なくて、ただ浮いて流されて
  いるだけの船だもの」
  「しかも、この船の構造は弱いから、強い横波を受けると砕けるよ」

  と、そのときです。みんなは、強い風の中に低いつぶやきの声が混じっている
  のに気が付きました。どうやら船尾に近い、荷崩れした箱の間からのようです。 

  「一字一句も間違いの無い、私の写したこの経典が日本に届けられれば、日本
  の仏教は変わる。多くの僧がこれを読み、書き写し、そして学ぶ。遍(あまね)く
  国の隅々まで仏陀の心が、正しい仏陀の教えが広がるのだ。仏陀の正しい教え
  によって仏殿は建てられ、寺々は荘厳(しょうごん)を新たにしてゆくのだ・・・」 
  見ると年老いた僧で、結跏趺坐した姿でうわごとのようにつぶやいています。
  「いま、吾が命数は尽きようとしている。両の眼(まなこ)は、すでに光を失った。
  仏陀よ、日本はこの経典や経疏を必要としないと言うのか。仏陀よ、吾が身命に
  代えてこの将来品を日本の国に届けたまえ」


  「大丈夫ですか、ケガはしていませんか」 
  「近寄るな。何があろうともこの経典は捨てさせぬ。この経典以上の将来品は、
  二度と得られるものでは無いのだ。捨てるのなら、吾が身のみを捨てるが良い」
  先ほどとは違い、その姿からは想像できないほど大きく凛とした声です。 

  「心配はありません。僕たちはその経典を救いに来たのです」
  「僕たちは、助けを必要としている人や物に呼ばれたときにやって来るんです」
  「真か、吾が願いを仏陀が聞き届けられたのか。吾が名は、業行(ぎょうこう)。
  留学僧として在唐三十年余におよび、その間に得た写経のことごとくを日本に
  将来する途上だが、嵐のために船は大破し、いまその道を失ってしまった。
  ・・・
  しかし、この経典を海の只中からどうやって運び出すというのだ。汝(なれ)らに
  大船があるのか、いや、小船ではだめだ。これ以上の危険に晒すことはできぬ。
  いま、これを失うことは出来ないのだ。これらは、すべて日本に必要なものなの
  だ。これらは、日本の土を踏むと自ら歩き始める。吾が手を離れて歩き始める。
  そして、日本の隅々まで行き渡ってゆくべきものなのだ」
  憑かれた様につぶやく様に一気に話すと、老僧は大きく肩で息をしました。

  「安心してください。僕たちは、船や馬などに依らない空間と時間の移動の方法
  を持っています。安心して託してください」
  すると老僧は、顔をあげてはっきりと言いました。
  「時と空間を越えると言ったか。ならば普照を知っているか」
  「はい。普照の乗っている副使大伴古麻の第二船は、今日の午後、薩摩の国の
  秋妻屋浦(あきめやのうら)に到着します」
  「そうなのか」と、うめくように言い、顔を伏せました。
  「鑑真和上もごいっしょです。これから二ヶ月半後の来年四月初め、東大寺の
  盧遮那仏の前に戒壇を立て、天皇、皇后、上皇らに授戒し、宮中に献じられた
  経・疏の類は、写経所で大勢の僧たちによって写されることになります」
  「吾の写した、一字の間違いも無い経典に勝るものなど、ありはしない」と、老僧
  は両のこぶしを握り締めました。

  「して、他の船はどうなるのか。汝らはそれも知っているのだろう」
  「副使吉備真備の第三船は、第二船に少し遅れてやはり薩摩に漂着します」
  「判官布施人主の第四船は、明年四月の中頃。薩摩の石籬浦(いしがきのうら)
  に到着します」
  「そして、この正使藤原清河の第一船は長い漂流の後、安南(ベトナム)の驩州
  に漂着します。そこで多くの人が倒れ、辛苦の末に十余名が長安に入ります。
  それから阿部仲麻呂は再び官吏として、正使藤原清河は新たに官吏として唐の
  宮廷に登用され、二人とも唐土でその生涯を終えます」 
  「そうなのか、皮肉なものだな。吾が経典を運ぶのに最も安全だと思って無理を
  通して乗り替えた、この第一船だけが日本に帰ることが出来なかったとは・・・」  
  そう言うと、しばらく宙を仰いでいましたが、しぼり出すようにして言いました。
  「止むを得まい。いまにも吾が命数は尽きる。その後は、この経典は価値の分ら
  ぬ者たちによって海中に打ち捨てられ、藻屑とされてしまうことは必定だろう。
  汝らの言葉を信じ、汝らに託そう。汝らの身命に代えても救ってもらいたい・・・、
  必ず役立ててもらいたい」
  業行は、ひとつ大きく息をつくと、静かに光を失った眼を閉じました。

  「じゃあ。すぐにこれを第二船に運ぼう。今日の午後には上陸するんだよね」
  「・・・」
  無言のまま、ぶたパンダは老僧から少し離れたところへみんなを誘いました。

  「どうしたの」
  「これは、この時代の日本に運ぶことは出来ないものなんだ。漢語に訳された
  ばかりの仏教の秘密部の経巻や経疏(注釈書)がすっかり含まれている・・・」
  「それって、なにか問題があるの」
  「これがいまの日本に渡ると、日本の仏教の歴史どころか、国の歴史そのもの
  が変わってしまうんだ。幸せな結末にはならないと思う。いずれにしろ、僕たち
  が変えても許される歴史の範囲を、はるかに超えてしまうことは間違いない」
  「それって、どういうこと」
  「仏教の秘密部というのは密教と言って、もっと後の遣唐使船、806年に空海が
  正式に日本に持ち帰ることになっているものなんだ。それ以前にも断片的には
  伝わるんだけど、それとは違って、ここにはそのすべてがそろっている」
  「そうか、53年も前に密教が正式に伝わってしまったら、弘法大師だけじゃなく
  て伝教大師の名前も、比叡山の延暦寺や高野山の金剛峯寺、そこで学んだ
  その後に続く多くの仏教指導者や多くの寺院もみんな消えてしまうんだね」
  「空海は、日本で初の私学を作ったり社会事業にも大きな貢献をする人だよ」
  「そう。だからこれは、絶対にこの時代の日本へは持って行けないものなんだ」
  「でも、これをこのまま海に沈めてしまうのは・・・」
  「もちろん、それも出来ない。これを救うのが僕たちの任務なのだから」
  「そう、それにあの業行さんの懸命の思いをなんとかしたいもの・・・」

  竜骨を持たない木造船は、強い風と波に揉まれながらギシギシと不気味な音を
  たてながら、木の葉の様に揺られつづけています。
    
  「そうだ、これを西域に運ぼう」と、ぶたパンダが提案しました。  
  「えっ、西域ってどこ」
  「この唐の国の西の外れさ。河西回廊とも呼ばれて漢の時代から多くの人たち
  が行き来したシルクロードが始まり、そして終わるところだよ」
  「そうか、敦煌やシルクロードの交易で栄えたオアシス都市のあったところね」
  「あっ、聞いたことがあるよ。敦煌って、たくさんの石窟寺院があって・・・」
  「そう、この石窟寺院は、敦煌に安西節度使が置かれていた、いま僕たちがいる
  この唐の時代にもっとも拡張されて、石窟寺院も最も多く作られたんだ」
  「そうだ、天竺まで往復して大唐西域記を書いた玄奘三蔵も、唐時代の人だ」
  「確か、今は西暦で753年だよね。再来年755年には唐で安禄山の乱が起こる。
  そしてそれから31年後の781年には、敦煌の沙州城は吐蕃に奪われるけれど、
  848年には漢人の豪族が吐蕃の内紛に乗じて沙州と瓜州の城を奪い節度使に
  任じられる」
  「それから、吐蕃(チベット)や回鶻(ウイグル)と三巴でこの地域で争うけれど、
  どの民族からも仏教は保護される。そして、1038年の宋の時代に羌族の李元昊
  が大夏(西夏)を建国してからも、敦煌は仏教都市として大いに栄えるんだ」
  「それは1227年、モンゴルの成吉思汗によって滅ぼさせられるまで続く」
  「モンゴルも宗教には寛容で、元の時代にも石窟寺院は作られ、その後もここ
  では、仏教は栄えるんだ」
  「そういえば、その大夏は建国の前から仏教を尊んだけれど、戦いに明け暮れて
  いて経典も十分には揃っていなかったって」
  「決まり」

  「さあ、ずいぶん空が明るくなってきたよ。みんなが起き出す前に出発しよう」
  「量が多いので、巨大くんのワームホールを借りよう。巨大くん、たのむよ」
  「OK」
  「じゃあ、出発」

  みんながワームホールに消えたとき、老僧業行の目癈(めしい)た目から一筋
  の涙が流れ落ちました。安堵の涙か喪失感の涙であったかは、誰にも知る由は
  ありません。

  「暗いね」
  「ここは20世紀の初めに、大量の経巻や古文書が見つかった石窟だよ」
  「ここに住み着いた一人の道士が発見し、1907年のイギリス人探検家ヘディン
  を初めとしてフランス人探検家ペリオ、ロシアや日本の大谷探検隊などが買い
  取って世界に紹介したんだ。その総数は4万点を超えていたんだってさ」
  「世界文化史上の大発見だって言われたのよ」
  「時代的に、この経典や経疏が入っていても問題はないの」
  「確か、古いものは3〜4世紀くらいのものからだそうだし、最も関係の深かった
  唐の時代のものなら大量にあっても大丈夫でしょう」
  「じゃあ、そこにまぎれこませてしまっても・・・」
  「問題はなし」
  「でも、途中の時代の誰かに発見されたらどうしよう」
  「それはそれで良いと思う。どの民族にしたって、仏教を大切にした人たちだから、
  きっとこれを活かしてくれると思うわ」
  「そもそも、あの経典類や古文書は、いつ誰が、何のためにここに埋蔵したのか
  も分かっていないんだ」
  「いくつかの民族が攻防を繰り返したところだから、沙州の城が占領されるときに
  隠したんだと思う。必ずここに帰ってくるから、そのときまでってさ」
  「もしかしたら、その占領した民族が石窟寺院を拡張や整備しようとしてしてそれ
  を発見したかもしれない。そして、自分たちが異民族によって追われるときに、
  自分たちの持つものと合わせてここに埋蔵したかもしれない。やっぱり、帰って
  来たときに必要になるからって」
  「それが千年もの間に、何度か繰り返されて膨大な量になったのかも・・・」
  みんなは、きっとそうに違いないと思いました。  
  「いずれにしろ、ここで問題は無いね。よし、じゃあここに決定しよう」


  ぶたパンダたちの運んだ『業行の経典』が、その後この地でどのように活かされ
  たのかは定かではありません。また、二十世紀初頭に敦煌の南東20km、鳴沙
  山東麓にある石窟寺院から発見され、イギリス人探検家スウェン・ヘディン等に
  よって世界に紹介された4万点を超える経典や古文書の中に、そのどれほどが
  含まれていたのか、あるいは含まれていなかったのかについても、いま、それを
  知る術はありません。
  しかし石窟寺院の研究から、西夏後期には明らかに密教の様式が強く現れ、
  密教への大転換があったことが確認されていますが、その理由や密教伝来の
  時期、ルートなどについては、いまだ明らかとはなっていません。
  従って、そこには、ぶたパンダたちがこのときに運んだ『業行の経典』のためで
  あるとは、その可能性について肯定とともに否定もまた出来ないのです。
  現世利益・心願成就を説く密教の教えは、絶え間ない戦乱に明け暮れて明日を
  も知れない日々を送る、この辺境に生きる人々の心をどれだけ救い、どれだけ
  慰めたことでしょう。(合掌)

 
 
  ※ 「業行」は、僅かばかりではありますが正史である『続日本紀』にもその名が
   記されている実在の入唐(にっとう)留学僧の一人ですが、どうやら、「普照」
   と「業行」とは、同一人物と考えられているようです。
  

                                         2006.01.05

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