知ったか天国,さんぱら
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知ったか・・・(知りたいその1) その6  ● Mitsuko ●

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知ったか天国,光
 
Mitsu  
Coudenhove-Aoyama
(1874-1941)
 
明治の日本人女性は
小顔で、スタイルが
良かったのか?


知ったか天国,光2

Count Heinrich Coudenhove-Kalergi(1859-1906)

この写真では分り難いが
驚くほどウエストが細く
この細いウエストは、
社交界で垂涎の的
であったそうだ



知ったか天国,光3

光と7人の子供たち

四男:カルル

長男:ハンス(光太郎)
次男:リヒャルト(栄次郎)
三男:ゲロルフ
長女:エリザベート
次女:オルガ
三女:イダ
(左から)


 どうしても分らないことがある。以前からずっと気になっているのだが、どうしても分らない! 
 19世紀末のウィーン社交界で「東洋の華」、「東洋の竜」、「ECCの母」とも形容されている、
 クーデンホーフ伯爵夫人 「Mitsu Coudenhove-Aoyama」(旧姓青山 光) の名である。
 婚姻届には「光」と記載されているそうだし、ウィーン社交界の紹介でも「Mitsu」。彼女が好ん で書いたと言う水彩画の落款には、「光」の一字。遺言状には、左手で「Mitsu」と署名をした
 のだそうだし、墓碑にも「(Mitsu)」と書かれている。
 どこにも「ko」が無いにもかかわらず、当たり前の様に「光子(Mitsuko)」と紹介され、皆がさも 当然の様に「ミツコ」と呼ぶのはなぜだ?彼女がどこかで自ら「Mitsuko」と名乗ったのか?
 それとも、後世の人たちが勝手にそう呼んでいるだけなのか?それなら、なんとも失礼なこと
 だし、きちんと訂正すべきだと思うのだが・・・

想像その1
 世界に冠たるオーストリア・ハンガリー帝国の伯爵家との正式な婚姻であり、日本を出発する 前に拝謁した明治天皇后から、皇族の女子の名前に一般的であった「〜子」を賜った。
 ・・・しかし、それであれば、社交界のような正式の場ではその名を使用するはずだが、その
 名を使用した形跡はなかったのだから・・・、これは没! 

想像その2
 ゲランの香水「MITSOUKO」。ゲラン社の社長は、「クーデンホーフ伯爵夫人の名を頂いたも 
 のでは無い」と、明確に否定をしていた(確かにスペルも違う)が、この香水が世間に受け入
 れられるに従って、ウィーン社交界の花形クーデンホーフ伯爵夫人の「Mitsu」と結びつけて
 (混同されて)受け入れられ、やがて「MITSOUKO」=「Mitsu」=「Mitsuko」として定着した。
 ・・・しかし、そうならその様な説明がどこかにあっても良いはずなのに、これまでに聞いたこと
 が無い。それに、これであれば、どこかで誰かが訂正をしていてもよいはずであるが、これも
 聞いたことがない。・・・没か〜!

 そもそも、「光」をなぜ「光子」と呼ぶのかという疑問の言葉すら聞いたことが無いというのは、
 そもそもどうしたことなのだ?これは、疑問をはさむ余地も無いほど世間で常識的なことで、
 私だけが非常識なのか?

 どなたか、私の疑問に答えてください!私に安らかな睡眠を!

 かなり昔、テレビを見ていて「光子」の写真が写ったときに、隣で見ていた妻が彼女の名前を
 フルネームでつぶやいた。驚いた。私は、香水の名前の元になった人(後でこれは間違いだ
 と知るのだが・・・)、そのときはその程度にしか認識しかなかったのに、難しいドイツ+イタリ
 アの名前をフルネームでさらっと言える。こいつは、いったい何者なんだと思った。
 しかし考えてみれば、妻の名前は「光子」。これは、妻の譲れない薀蓄だったのだ。

●フランスでは1906年に日露戦争を題材とした小説「ラ・バタイユ」(C・ファレール作)がヒット、 その中に登場する日本女性がミツコ。このミツコと言う名は、当時、伯爵夫人としてウィーン社
 交界で活躍していたミツ・クーデンホーフに構想を得たのではないかと考えても、不思議では
 ありませんよね。

●高級香水ブランド・ゲラン社の創業者一族でもある調香家のジャック・ゲランは、ラ・バタイユ
 のミツコにちなんだ香水を作ることを決意。そして、1919年に発売されたのが「MITSOUKO (ミツコ)」。
 「ミツコ」は特定の女性を指す名ではないとされていますが、ウィーンでは、伯爵夫人「ミツ」を
 イメージした香水と受けとられたでしょう。「ミツコ」は、日本人女性の神秘性と美しさが香水で
 表現されているのだそうです。
 ゲラン社では、「ミツコ」は官能的でミステリアスな気品に満ちた香りで、発売後80年たった今
 でも世界中で愛され、ゲラン社の売上の半分以上を占めているのだそうです。
 ちなみに、ゲランの社長はインタビューにこう答えました。「ネーミングは、伯爵夫人にちなむ
 ものではなく、当時の日本人女性の一般名であるこということ」、そして「たった10種の天然
 素材だけで作られた『MITSOUKO』は、まさに奇跡だ!」とも言っていました。

●「ミツ」は、1874年「青山喜八」とその妻「つね」の三女として、東京に生まれました。日本に
 赴任したていた、当時のオーストリア・ハンガリー帝国代理公使ハインリッヒ・クーデンホーフ・
 カレルギー伯爵と18歳の時に結婚。1906年に夫に先立たれましたが、7人の子供を育て、
 67歳で没するまで故国に帰ることはありませんでした。二男リヒャルト(1972年没)は、欧州
 統合の源流的な思想「パン・ヨーロッパ」運動の生みの親として知られています。
 そのため、「ECCの母」とも呼ばれているのだそうです。

●映画カサブランカの製作者は、イルザの夫ヴィクター・ラズロがリヒャルトであることを積極的
 に肯定はしませんでしたが、質問は「光栄に思う」と、否定もしませんでしたね。

  

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