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有珠山を望む
(伊達市から)
私が自宅の窓から
見ていた有珠山とは逆、
ちょうど真裏の姿
1971年頃は、土瓶の口も
まだ、しっかりとあった
有珠山の噴火
(1977年8月、伊達市から)
昭和新山の噴火を
再現した、噴火祭りから
一夜明けた噴火であった
・・・そうだ
物置の整理をしていたら
こんな写真が出てきた
有珠山の銀沼で
(1970年頃)
このあたりが、1977年の
噴火口になった
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ウウェペケレ(昔話)
むかし、トカプチ(衰える土地:十勝)のコタン(村)に、イモシタクルと言う名の男がおったが、この男は子供のころからのウェンペ(悪い者)で、村人から嫌われておった。
ところが、ある日イモシタクルは病気になり、突然、あっけなく死んでしまった。そして、カムイ(神様)の前に行ったが、イモシタクルはこの世にいるときに悪事ばかり働いていたので、神様はカムイモシリ(神の国)に行くことを許さなかった。行く先の無くなったイモシタクルは、どうせ嫌われるなら、もっと悪いことをしてやろうと自暴自棄(やけ)になり、地上に舞い戻って悪事の限りをつくした。
これを知った神様は大いに怒り、アイヌモシリ(人間達の静かな土地:北海道)中を逃げ回るイモシタクルを追っかけ追っかけして、トーヤ(丘に囲まれた湖:洞爺湖)の南のアプタ(虻田)で追い詰めて、ものすごい力で思いっきり蹴飛ばした。イモシタクルは、いずこへとも無く飛ばされていって、行方が分からなくなってしまった。
その時の神様の力があまりにも凄まじかったので、あたりは大地震のようにグラグラと揺れた。そのはずみで、有珠山は大噴火をおこしたんだと。
有珠山は毎朝眺める山だった。私の生家は洞爺湖北畔にあり、南側の窓にはパノラマの様に湖が広がり、中島が、そしてその後ろにでんと土瓶の様な形でいつも見えていた山だった。
だから仲間内では土瓶山とも呼んでいたし、遠足で登ったり、ハイキングに出かける山だった。
1910年に明治新山、1944年に昭和新山を生んだことは、聞いていたし、また、1977年8月の噴火で、あの見慣れた土瓶の形が無くなってしまったのは悲しかったが、ハイキングで行った銀沼あたりが新しい火口だったことも、見て聞いて知っていた。が、それにしても2000年春の噴火は、さらにショックだった。妻を連れて洞爺に帰った時、そして子供達をつれて洞爺に遊びに来た時にも、「やっと、洞爺に帰ってきたんだな」と実感した場所が無くなってしまったのだ。
私の卒業した学校の、校歌に「いつの日か、火をふきや止めて、有珠岳は、しばしやすろう」と言う一節があるのを、唐突に思い出した。
先日、友人に「今年は、この学校を卒業して30年目の年にあたるのだ」と言われたのだが、この30年間に有珠山は2度も火を噴いている。この歌詞は、いまもそのまま歌われているのだろうか?いつになったら、有珠山は本当に火を噴き止め、そしてやすろうのだろうか?などと
つい、思いをめぐらせてしまった。
有珠山データ
有珠山は今から1万5千年〜2万年前に洞爺カルデラの南壁に火山活動をはじめ、富士山の様な形の火山をつくり、その後7〜8千年前に山頂部分が大崩壊を起こして、現在の外輪山の原型が形づくられました。その後の数千年は静かに眠り続けていましたが、1663年8月に突然大噴火をおこし、それ以降も1769年1月、1822年3月、1853年4月、1910年7月19日、1944年6月23日、1977年8月7日、2000年3月31日と計8回の噴火を繰り返しています。(噴火初日)
標高732m?、最近はすっかり聞かなくなった「ベロニーテ火山」と習いました。ちなみに富士山は「コニーデ」、ハワイ島のマウナ・ロアは「アスピーテ」でしたね。いまは、もう死語ですか?
ちなみに、ハワイ語で溶岩の種類を言う「アア」と「パホエホエ」は世界語です。これについては、知ったか天国で取り上げる予定。「ペレズ・ヘアー」や「ペレズ・ティアー」もあります!
長流川の語源は「河口に芦の生えている川」。長流(osaru)の字面と響きは、お気に入り。
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