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マレーネ・ディートリッヒ
1901年ベルリン生れ
J.V.スタンバーグ監督の
「嘆きの天使」(1929)
で不動の地位を得た
前線で兵士達と
自ら志願して、精力的に
前線を慰問し続けた
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マレーネ・ディートリッヒ生誕100周年にあたる今年12月27日、戦後ドイツで「裏切り者」と呼ばれた彼女の名誉が回復され、墓前でベルリン市長が正式に謝罪をする様子をテレビニュースで見た。彼女をメインにした博物館も出来るのだと言う。彼女は、戦後たった2度しか祖国の土を踏むことがかなわず、1992年5月6日にパリで90歳才の生涯を閉じている。
あ〜、バックの曲は、やはり「リリー・マルレーン」だ〜。
そうだ、リリー・マルレーンだ・・・と言う訳で、ここでは「リリー・マルレーン」の薀蓄です。
シンプルにと考えたのですが、ちょっと大きくなってしまいましたので以下の3つに分けました。
【マレーネ】 【ララ】 【リリー・マルレーン】
Marlene Dietrich (1901.12.27〜1992.05.06)
1901年、ベルリンでプロシャの軍人の家に生まれ、マックスラインハルト演劇学校に学び、そして舞台を踏んだ。そのかたわら、1923年頃から映画にも端役で出演。
1929年秋、ジョセフ・フォン・スタンバーグと契約し、徹底した「人工美」を持って、ハリウッドへ進出。「嘆きの天使」でセックスシンボルとして成功した彼女に対して、1937年独裁者ヒトラーは、祖国ドイツへの復帰を破格の甘い条件で誘うが、彼女はそれを敢然として拒否。
1938年オーストリア併合、ズデーデン併合、1939年3月プラハ占領。6月、マレーネは抗議するかのようにアメリカに帰化。ドイツの新聞は非難を浴びせ、中傷した。9月、ポーランド侵攻。
1943年春 42才。「映画はやめて、戦場に行く。」と宣言。事実、北アフリカ戦線を皮切りに、シシリー、イタリア、フランス、オランダ、グリーンランドと積極的に戦場を廻り、彼女は常に兵士のそばにいて連合軍の「兵士の友」となり、祖国では裏切り者となった。
1953年 52才の時、彼女は女優から歌手へと転身を図ります。歌手マレーネ・デートリッヒの誕生です。イギリス、オランダ、ベルギー等を中心に演奏旅行を行います。1960年、念願のベルリン公演を行いますが、ここでベルリン市長ブラントが出迎える一方で「マレーネ・ゴーホーム」のデモに遭います。また、新聞の投書には「強くなったドイツマルクを求めて、再びドイツに戦いを挑むのか。」とさえ書かれたのです。
しかし、彼女はドイツ公演の2週間後、さらにエポックメーキングな公演を行います。イスラエル公演です。そこで彼女は「リリー・マルレーン」をドイツ語で歌いました。客席は涙の大合唱になりました。観衆の多くはドイツ生まれだったのですね。マレーネはイスラエル建国以来、その国内で初めてドイツ語で歌ったのだそうです。(以前、ドイツ語で歌うリリー・マルレーンをNHKの放送で見たが、そのときのものであったかどうかは、残念ながら失念した。)
1962年頃、マレーネの歌にアメリカの反戦歌が加わりました。「花はどこへいった」、「風に吹かれて」です。先日、NHKの番組で「花はどこへいった」をドイツ語で歌うマレーネの映像を見ました。その衣装は博物館に展示されるとして紹介された衣装そのものでした。
フォークソング世代に生まれた私も、「花はどこへいった」は、ピート・シガーが、ショーロホフの「静かなるドン」に触発されて創り、彼女が最初に歌ったのだと言うことを1978年になって初めて知りました。
1992年5月6日、パリの自宅で90歳才の生涯を閉じてパリに埋葬されたのですが、後になって分骨され、故郷のベルリンにも墓が立てられました。
そして生誕100年の日に正式に名誉が回復され、やっと生まれ故郷での安住が叶ったのです。
新しい世紀の最初の年。その最後の月の終わる直前に、ひとつの歴史が終わったのですね。
【マレーネ】 【ララ】 【リリー・マルレーン】
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